生きること

ブログ2年生。あっという間の1年を振り返って思う、ブログに学んだこと

 

こんにちは。娘に振り回される2か月間の夏休みも終盤、9月1日から始まる新学期にワクワクが止まらないぱんた( @reipantaCom )です。

ヨーロッパの9月は、日本の4月。幼稚園や学校では新しい学年度が始まります。ほぼ同じタイミングで、このブログ「ぱんたれい」も2年目に突入しました。

おかげさまで

ということばどおり、みなさんに読んでいただいて、そして温かく見守ってもらえているからこそ、今日もこうしてブログを続けることができています。

どうもありがとうございます

と、心からの感謝を述べながら本末転倒してしまいそうですが、エゴいっぱいで参ります。ぱんたれいを始めてからの1年をを振り返り、ブログを通して学んだことを書きたいと思います。

ブログが教えてくれたこと

「ぱんたれい」を始めたきっかけは、

ぱんた
情報や知識の共有がしたかったから

自分の持っている情報や知識を、誰かの役に立ててもらいたいと思っていたんですね。

ついにでてきたか。ドブネズミの親玉が!*

当時の自分に声をかけるなら、こんな気持ちです。

ブログをはじめて分かったことは、私はブログを通して自分のことばを誰かに聞いてもらいたかったということ。そして、それによって自分自身が救われている、という現実でした。

人は大切なものを失い、寂しさが許容量を超えるととおかしくなることがあります。ブログは、沼地で腐臭を放っていた私の魂が息を吹き返すきっかけになりました。

共感する喜び

自分がブログを始めると、誰かのブログを読むようになります。ブログを読んで、ブログを読まれて、ブログによって知り合ったたくさんの人と共感する喜びに、私は何度も上を向く元気をもらいました。

  • 子育てで分かち合える喜びや悩み
  • 自分の居場所を失った痛み
  • 何かに挑戦する不安や希望

などなど。気持ちを分かち合えることはすばらしい。

『スキャナー・ダークリー』などのSFの傑作を書いたフィリップ・K・ディックは、AIと人間との決定的な違いを共感する能力( empathy としています。

私はブログによって、人間にとって共感することの意味をあらためて確認できたような気がします。

人は共感する生き物であり、共感は人を幸せにする力がある。

孤独の履き違え

我が家はいわゆる転勤族。3年おきくらいに国を転々とする生活を続けていると、出会いだけでなく、さようならも増えます。家族の絆は強まるけれど、心に寂しい風が吹きすさぶのも事実です。

ぱんた
あの雲のように 自由気ままに生きるのよ*

なんて思う一方で、

ぱんた
こんなツライ状況、誰も分かってくれない……

と、カビの生えた気持ちがありました。

でも、ブログを始めたことで、たくさんの人のたくさんの人生の中に、自分と似たような涙や笑いを見つけることができました。

孤独に取りつかれていた原因は自分自身の心の在り方。他者と最大公約数を見つける努力すらしていなかった自分が情けないけれど、ブログによってそんな自分の奢った単細胞具合を省みることができました。

視野の広がり

ブログによって人とつながって得たのは、共感の喜びだけでなく、自分の知らない世界を知る喜び。

人のつながりがまるで好奇心のアンテナの広がりのようになって、今まで知らなかった景色をたくさん見られるようになりました。

1人で見られる世界には限りがあるけれど、誰かと一緒に見る世界は果てしなく広い

 

まとめ

以上のように、ブログを通して出会ったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。重ねて、どうもありがとうございます。

このブログが3年生を迎えるころ、私はまた新しい土地へ移動するでしょう。

でも、その時はゾウリムシのような自分の小ささに腐ることなく、むしろ「発酵ゾウリムシ」に進化するくらいの心意気で、ブログを通して珍味を届けられるようになっていたいな、と思います。

この旅は無理なことばかりして来た旅だった… 
無理だとか無駄だとかいった言葉は聞きあきたし 
おれたちには関係ねえ**

これからもどうぞよろしくお願いします。

それではみなさん、ごきげんよう!

引用元

*『北斗の拳』(武論尊作、原哲夫画)より引用。
**『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦作・画)より引用。

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