先日、娘の成長について記事を書いたのですが、それと関連して「ハーフ」という単語とそれをめぐる議論が気になっていました。
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「ハーフ」の子育てで驚いたこと5つ
我が家は夫婦の国籍が違うので、娘はいわゆ ...
そこで、両親の国籍が違う人を指す「ハーフ」ということばについて考えてみたいと思います。
「ハーフ」がなぜダメなのか?
自分が小さいころの日本では、異なる国籍の両親を持つ人のことを一般的に「ハーフ」と呼んでいたように記憶しています。そして、個人的な日本語観ながら、私自身は「ハーフ」という単語はニュートラルな意味の和製英語ととらえていました。
ところが、現在「ハーフ」という呼称に意義を唱える人は少なくありません。
反対派の掲げる理由を調べてみると、英語の「 half 」が「半分」という意味をもつからダメ、という論理が主流です。「ハーフ」の子供の能力を半分とみなすような解釈ができる、つまりマイナスのイメージがあるから違うネーミングを求める、ということになります。
とはいっても、「ハーフ」は完全な和製英語で、言語学的に考えても英語の「 half 」とは異なることばになっています。英語の「 half 」の中身は抜き取られていて、カタカナの「ハーフ」という音の殻に「両親の国籍が異なる人」という新しい意味を詰められている日本語のことばです。英語で「 half 」と言っても、日本語の「ハーフ」という意味では通じません。
現在の日本では法律による使用禁止はありませんが、「放送自粛用語」などとして使用を自主規制しているメディアがあり、私には驚きでした。
じゃあ、「ハーフ」をダメとする場合の代替案は何なのか?という話しになります。
ダブル
「ハーフ」の代わりとして推奨されているものの中に「ダブル」という表現があります。なぜなら、「ハーフ」の子供はそれぞれの両親の文化、つまり2倍の文化を受け継いでいるから、という理由です。
「ダブル」ということば自体は「ハーフ」と同じで気になりませんが、その根底にある論理となると話は別で、個人的には違和感を感じます。
だって、国籍が同じ両親の子供も受け継ぐ文化は1つじゃないでしょう?
うがった見方かもしれませんが、「ダブル」の論理からは、被害者意識から転じた加害者的なおごりのようなものが滲むように思えてしまうのです。なぜ国際結婚だと得るものが自動的に2倍になるのか、私には理解ができません。
さらに、かなりの「ハーフ」は「ダブル」ということばにそぐわないという実情も考えなければなりません。国籍の数や先祖の出身国がたった2つである「ハーフ」ばかりではないのですから。
例えば娘の場合は、祖父母の代にさかのぼるだけで4か国の血が入っています。仮に1国1文化という「ダブル」推奨者の不思議な論理を前提としても、「ダブル」にはならないんです。4倍だと何でしょう?英語ならクワドルプル?
戦隊ヒーローみたいな響きです!
ミックス
「ダブル」のほかに支持されている代替案は「ミックス」。こちらも和製英語です。
「ミックス」支持派によれば、英語圏で使われている「mixed race(ミクスド・レース)」からきている表現で差別がないから提唱するのだとか。
ところがタイヘン、敢えて直訳するまでもなく、英語圏での使われ方も問題がないとは言い切れません。もともと白人種をデフォルトとしている背景があること、また mixed race (混血種)と言うことによって pure race(純血種)がいることを暗に意味してしまうんですから*。差別に反対して「ハーフ」をやめようとしているのに、「ミックス」を使うことで逆方向に向かってしまうという何ともおかしなことになっています。
さらに、最近はやりの「ミックス犬」や「ミックスちゃん」ということば。ペットを「雑種」と呼ばない比較的新しいことばですが、同じ「ミックス」を子供に使うと逆転して「雑種」という単語を連想してしまいます……。
*参照:英国放送協会BBCサイト内の記事『 Warning: Why using the term 'coloured' is offensive 』(2015年1月27日参照)
国際児童
そんなこんなで、
と思っている人も少なくありませんが、「ハーフ」も代替後もしっくりこないと感じている人もいるようで、「ハーフ」代替案サーチは現在も続けられているようです。
そんな中で、比較的最近耳にしたのが「国際児童」。
しかし、両親の国籍が同じでも国際的な環境にいる子供がたくさんいるように、親の国籍だけで「国際」としてしまうことに、ものすごく違和感を覚えます。
いえいえ、それより、大人になったらどうしましょう!
外国人が多い町で「ハーフ」の持つ意味
私が住んでいたブリュッセルは、とにかく外国人(特に西欧圏外の外国人)の数が多い町。おのずと国際結婚の家庭も多く、娘の幼稚園ではクラスのほぼ全員が何らかの「ハーフ」です。
そして、「ハーフ」という定義だけに収まらないんじゃないかと思われるケースが、実際の知り合いレベルでいっぱいあります。
ケース1: ドイツ-ナミビア
パパはドイツ人。ママはナミビア人。2人の出会いは留学中のスコットランド。 幼稚園に通う子供は、パパとドイツ語、ママとナミビアの言語、家族の会話と幼稚園で英語、の3か国語生活。そして、転園前はイタリアにいたので、もったいないからイタリア語もお勉強継続中。
ケース2: スペイン-オランダ
パパはスペイン人。ママはオランダ人。2人の出会いはママの生まれたアメリカ。 小学生の子供は、パパとスペイン語、ママとオランダ語、家族の会話は英語、学校はフランス語の4か国語生活。
こんな具合なので、子供たちは途方もなくバラエティ豊かな文化に毎日接していることになり、「ハーフ」という定義からはみ出す側面があるように感じざるを得ません。
かく言う私の娘も、日本でもパパの国でもない外国で生まれ、複数の外国で育っています。正直なところ、どこの地域の文化が彼女のルーツかと問われると答えに悩みます。
まとめ
ということで、「ハーフ」ということばについて考えてきましたが、現在のところ個人的な結論は、「ハーフ」ということば自体はそれほど悪いものに思えないということになります。つまり、これからも子どもの成長を見守りながら考えていくべき進行形のテーマです。
「ハーフ」の娘に何よりも大切だと伝えたいのは、「ハーフ」というラベルや概念に縛られることなく、多彩な文化に触れながら、自由に元気に育っていってほしいということです。