ベルギーでは骨董市やアンティーク市が定期的に開かれているように、古いもののリサイクルが盛んです。一般人の出店するフリマは大きな広場だけでなく、ごく普通の住宅街でも開かれていて、ファミリー総出でお家の前に店を構えて使わなくなったものを売ったりします。
遅ればせながら我が家も娘の赤ちゃんグッズを手放す時期が来たので、眠っていたパンドラの箱を開けてご近所のフリマに出店しました。
フリマ参加の手続き
参加手続きはいたって簡単。主催者である地方自治体サイトからオンライン申請と参加費の支払いをするだけでした。
お支払いしたのは、参加費(およそ3500円) + デポジット(1200円くらい)。料金は、
- 出店者がプロかアマか
- 出展ブースの場所はどこか
によって変わりました。
マーケット終了時には、ゴミが残ってないかなどの撤収作業をチェックしてもらって、預けたデポジットを返金してもらいます。
出品したもの
海をまたぐ引っ越しをするたびに、私たち夫婦は色々なものを手放してきました。
ところが、です。我が家には最低限のモノしかないはずなのに、あらあら、思いのほかいろいろと出てくるじゃありませんか。持てない者だけに、持てる物で心の隙間を埋めていたんでしょうか。ドーン!
結局、かなりのモノを出品することになりました。
- ベビーカー2台
- バウンサー
- トラベルコット2つ
- 子供服
- おもちゃ
- 本(子供用と大人用)
- PS3
- ゲーム
- 子供靴
などなど。
その一方で、出品すべきなのに手放せなかったモノもありました。
当日朝からハプニング
ルールによれば、当日は朝8時までに出店準備を整える規則になっていました。
という厳しいルールも記載されていたので早朝からマジメに準備をしたのですが……。誰もチェックになんて来ないじゃありませんか!
おまけに、事前に予約したブースがありません!
冷や汗をかきながらウロウロと番号を確認していたら、なんと予約サイトの指定とはまったく違う場所、なぜかマップを180°回転したようなところにブースが配置されていました。
いつもは優等生なのに時たま壮絶な間違いをサラッと起こすという、なんともベルギー的なエラーです。
結果的にはすごく人の通る場所に出店できたので私たちはラッキーでしたが、もともとその場所を予約した人は……。
そんなことを思いながら子供服を並べていたら、目の前を笑顔の警察官が通り過ぎ、続いて路駐車が爽やかにレッカーされていきました。アデュー。
値切るのって難しい!
市場の基本はコミュニケーション!なのでしょうか。今回のフリーマーケットでは、たわいない会話に気持ちが乗っかり、そこからモノの値段が決まることがほとんどでした。
値切りが延長線にあるからか、やりとりしていると人間性が露わになることが多く、本当にいろいろな人がいるんだなぁと、あらためて社会勉強になりました。
交渉成立後に「フリマだから値切る義務感があるのよ。50セントおまけしてくれたから、今晩は気持ちよく眠れそうだわ」と、気分良く売らせてくれる人。
いやがる子供に買う前から洋服を着せて、「まけろ!もう着せちゃったし、どうしようもないぞ。いいだろう、ホラ」というビックリおじさん。
「まけてよぉ。貧乏人には優しくしなきゃだめよぉ」と情に訴えるような交渉を始めたら、
と真顔で返され、思わず値切るのを忘れて財布を開いてしまった優しいマダムなどなど。
時間がかかるけれど面白かったのは、次のような無限ループのやりとりでした。
心穏やかに笑顔で「だめですよ念仏」を唱えていると、私の平たい顔が菩薩にでも見えてくるのでしょうか、涅槃寂静を願ってなのか、みなさん最後にはきちんと耳を揃えてお支払いをしてくれました。ナム―。
思い出ポロポロ
そんなこんなで面白い経験をたくさんした10時間フリマ耐久レースでしたが、娘の赤ちゃんグッズを譲るときには涙ぐみそうになるほど感慨深い瞬間もたくさんありました。
私たちが生きている間に一緒に暮らすモノってどのくらいあるんでしょう。そして、そのモノは私たちの思い出をどれだけ宿らせているんでしょう。
私たちの記憶や思いは頭の中だけではなく、モノにもストックされているように感じます。
娘が生後1か月ちょっとの頃、私たちはアジアのとある国から逃げるようにロンドンに引っ越しました。この引っ越しは娘の生まれる直前に決まったので、出産前後は引っ越し作業の真っただ中。持ち出せる荷物は限られていたので、娘は普通の赤ちゃんが親に揃えてもらえるものをほとんど持たずに生まれてきました。
我が家にあった赤ちゃんグッズは、引っ越し後にやっと買ってあげられたものがほとんど。誰も知らない異国の町で仮屋に住みながら雪の公園を散歩したベビーカー、締め切り間近の仕事に向かいながら足で揺らしたバウンサー、名前すら知らなかったデパートで買ってあげたベビードレスなどなど、いろいろな思い出が詰まっていました。
どの家庭にもこうした思い出やストーリーがあって、家族一人ひとりの記憶の中だけでなく、そこで使われているモノにも宿っているように思います。私たちがモノに執着してしまうとき、それはそのモノ自体ではなく、それがまとっている私たちの思いや物語を手放したくないからなのかもしれません。
フリーマーケットは、そんな思い出が怒涛のごとく溢れては消えた1日でした。そして、終わってみれば出品したものはほとんど売れて、気づけばロンドン時代に使っていたものが家からずいぶんなくなりました。
ベルギーに引っ越して来てから約1年。ようやく巣作りが一段落して、私たち家族の心に寄り添ってくれていたモノたちを解放してあげることができたのかなぁ、と思います。新しいお家でもそれぞれ大切にしてもらって、たくさんの笑顔の中で使ってもらえますように。
おしまい。