以前から、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の人気が復活しています。
そんな中、『1984年』の世界と重なるディストピアの描かれている名作映画『未来都市ブラジル( Brazil )』を改めて観ました。
『未来都市ブラジル』は、大衆映画というよりも熱狂的なファンのいる「カルト映画」として有名ですが、楽しめるのは一部の人だけではありません。
そして、現代人にとっては大切な問題を考えさせられる映画でもあります。
鑑賞をおすすめする大きなポイントとして、
- 不思議怖いファンタジーの世界
- グロテスクなユーモア
- 生きることの意味を問う普遍的なテーマ
が挙げられます。
昔の映画と侮ることなかれ。ギリアム独特のグロテスクで不思議な世界にドキドキしながら、シンプルで大切なテーマを考えさせられる大作です。
ということで、『未来都市ブラジル』についてみなさんとシェアしたいと思います。
この記事では、映画の内容について触れている箇所があります。まずは映画を観たい!という方は、鑑賞後にお読みください。
Contents
テリー・ギリアム監督『未来都市ブラジル』のあらすじ
舞台は未来のどこかの国。主人公のサムは、「情報省( Ministry of Information )」に務めるエリート職員。権力者に顔の効く母親を持ち、最先端の設備が整うマンションで不自由なく暮らしている。
ある日、情報省で小さな事務手続きのミスが発生し、サムはその処理を担当することになる。サムはたびたび夢に現れる謎の女性に魅了されていたが、任務をきっかけに現実の世界でその女性とめぐり会う。
しかし、彼女への恋心から起こした行動によって、サムは徐々に国家の敵と目されるようになっていく……。
- 原題: Brazil
- 邦題:未来都市ブラジル
- 監督:テリー・ギリアム
- 出演:ジョナサン・プライス、ロバート・デ・ニーロ、イアン・ホルム他
滑稽なまでに絶望的な管理社会
人が人として自由に生きられない社会。鬼才テリー・ギリアムは、そんな全体主義的な官僚主義のディストピアをグロテスクなユーモアとともにスクリーンに描きだしています。
私たち人間は、好むと好まざるにかかわらず社会の中に生きています。社会は人がよりよく生きるために必要な環境であるものの、常に人間にとって幸せな発展を遂げているわけではありません。
大切なものを犠牲にするような社会システムを、私たち自身が知らず知らずのうちに作り上げてしまう。そして、そのシステムはどんどん強大な力を持ってゆく。私たちが気づいたときには、もはや後戻りすらできず、絶対権力となったシステムは一人ひとりの「生」をからめとり、私たちには「生きる」のではなく「生かされる」という選択肢しか残されていない……。
よりよく生きるために作られた環境が、生きることを困難にする装置になってしまうという逆説。『未来都市ブラジル』の舞台は、まさにそんなディストピアです。豊かさを追求した末にたどり着いた未来都市は、一点に集中した権力が人々の生を管理・支配しています。
『未来都市ブラジル』の中では人々のプライバシーはなく、国中に張り巡らされたダクト(配管)を通してあらゆる個人情報が情報省に筒抜けとなっています。情報省は、官僚主義を体現している巨大な中央政府機関の1つで、人の命を左右するような重大な決定を下し、誰もあらがえないような強大な力を掌握しています。
強大な力と凡庸さのグロテスクな対比
映画の主人公サムは、そんな社会の要である情報省に務めています。すべての人のすべての情報を管理する情報省は、間違いなど一切起こさない厳密で正確な機関であるべきです。ところが、そんな明白ともいえる大前提に反して、実態は驚くほど稚拙なミスが発生するような場所なのです。
巨大な権力を握る厳粛なイメージとはうらはらに、情報省の内部では滑稽なまでに幼稚な風景が展開されています。大きなグレーのオフィスで働くエリートたちは、まるでパブにでもいるかのように仕事はそっちのけで、こっそりとテレビを見るのに夢中。そして上司が現れるや否や、忙しそうに仕事をしているふりをするという始末です。
ある日、情報省はテロリストの Tuttle 氏を捕まえるはずのところ、誤って一般市民の Buttle 氏を捕まえ、拷問にかけて命を奪ってしまいます。事の重大さに反して、過失の原因はびっくりするほど単純で偶発的。タイプライターにハエがとまったことにより氏名蘭に誤植が生じ、 Tuttle の T が B となることで Buttle を捕まえるように指示がだされたことが原因です。つまり、小さなハエによって引き起こされた事務ミスが、いとも簡単に、そして不当にバトル氏の命を奪ってしまったのです。
より豊かな生活を目指して創設された情報省という機関は、もはやその目的のためには機能してません。逆説的に人々の生を不条理に奪い取るシステムと化し、人々の生を管理・支配しているのです。
そして、たとえテレビ鑑賞の合間に仕事が行われていようと、ハエのせいで無実の人が処刑されようと、そんな欠陥だらけのシステムに権力を集中させてしまったがために、人々は盲目的にその判断に従わざるを得ないのです。
そんなグロテスクなコントラストは、テリー・ギリアムの独特のユーモアとともに、映画のそこここにちりばめられています。
小説『1984年』との共通点
テリー・ギリアムの描いた全体主義的な管理社会の姿は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年( Nineteen Eighty-Four ) 』と見事に重なります。
それもそのはず、ギリアムの『未来都市ブラジル』は『1984年』の影響を大いに受けているからです。
- 情報省 ← 1984年の真理記録省
- 町に張り巡らされたダクト ← 各家庭で人々を監視するスクリーン
- 情報省勤務の主人公サム ← 真理省記録局勤務の主人公ウィンストン
などなど、ディストピアを構成するいくつかの要素を比べただけでも、『1984年』にインスピレーションを受けていることがよくわかります(映画の公開も1984年の1年後、1985年)。
そして、『未来都市ブラジル』に描かれた恐ろしい官僚主義の姿は、フランツ・カフカの小説『審判( Der Prozess )』にも大きな影響を受けているのは明白です。
主人公サムの働くオフィスは、『審判』をもとにしたオーソン・ウェルズの映画『 審判( The Trial ) 』へのオマージュともいえるような様相で、ウェルズの描いたグレーの無機質なオフィスを思わずにはいられません。
ジョージ・オーウェルの『1984年』については、こちらの記事に詳しく載っています。 By Nirwrath (Made in ...
ジョージ・オーウェルの『 1984年』と全体主義の恐ろしさ
頭の中の自由は消せない
さて、このような恐ろしい世界が広がる『未来都市ブラジル』ですが、そのテーマは決して絶望的ではありません。
映画の語るメインストーリーは、
- 私たち一人ひとりが想像する空想の世界
- 悪夢のような全体主義の現実世界
という、2つの世界の拮抗です。
技術の進歩によって実現された「すばらしい」管理社会は、なり振り構わず無様にうわべを取り繕う偽善的で機械的な人間に溢れています。主人公のサムは、そんな悪夢のような現実世界から離れ、それとは対照的な夢の世界で自由に「生きる」時間を謳歌するのです。
どんなに大きな権力も、私たちの内側にある世界やそれを思う自由を奪うことはできない。
私たち一人ひとりにある内なる想像の世界、つまり私たちが自由に感じ考えられる力のすばらしさこそ、監督テリー・ギリアムが『未来都市ブラジル』に込めたメッセージといえるでしょう。
モンティ・パイソン
監督のテリー・ギリアムは、もともとは伝説的なイギリスのコメディ・グループ、モンティ・パイソン( Monty Python )のメンバーでした。英国放送協会( BBC )が放映していたコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で、オープニングやスケッチ(コント)の間をつなぐユニークなアニメーションを作成していたのが有名です。
映画の中には、不思議キモ恐い魅力たっぷりの世界が夢のように溢れています。
ちなみに、『未来都市ブラジル』には、同じくモンティ・パイソンのメンバーだったマイケル・ペイリンも出演しています。
まとめ
私たちがよりよい未来のためにと信じて築いている社会は、ときには誤った方向に発展し、恐ろしい未来をたぐりよせることがあります。過去の歴史を振り返れば、そのような例はいやというほど見つかります。
『未来都市ブラジル』は、現代という大きな変化の時代を生きる私たちにとって、まるで予言の書でもあるかのように示唆に富む映画。
- 権力の一点集中がもたらす恐ろしさ
- 強大な権力ですら奪えない私たちの心の自由
など、とても大切なことを私たちにしっかりと再認識させてくれる、人間愛に溢れた名作です。
まだ観ていない方はぜひこの機会に、はるか昔に観た方はぜひもう一度、ギリアムの世界を堪能してみてください。